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大阪地方裁判所 昭和42年(わ)267号 判決

本店所在地

大阪市西淀川区竹島町一丁目二〇番地

株式会社関西鉄工所

右代表取締役

武村富治夫

右の法人に対する法人税法違反被告事件につき当裁判所は検察官難藤務出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人を罰金三五〇万円に処する。

訴訟費用中証人島谷弘、同有松忠義に支給した分は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告会社は、鍛圧機械等の製造販売業を営む会社であるが、当時の代表取締役武村米蔵において、昭和三七年一二月一日から昭和三八年一一月三〇日までの事業年度分の法人税の一部を免れる目的で、公表経理上材料の架空仕入四、〇七六万〇、八九二円及び架空の支払利息三万一、六五八円を計上して合計四、〇七九万二、五五〇円の所得を秘匿したうえ、昭和三九年一月三一日大阪市西淀川区西淀川税務署において、同税務署長に対し、被告会社の同事業年度分の所得金額が一億五、四九九万三、一七一円で、これに対する法人税額が五、五一〇万四、九三〇円である旨過少に虚偽の記載をした法人税確定申告書を提出し、もつて不正の行為により同年度分の法人税一、五四九万九、二一〇円を免れたものである。

(証拠の標目)

一、武村米蔵作成の証明書添付の定款写

一、西淀川税務署長作成の証明書添付の法人税申告書写

一、城英雄、島谷弘(但し二項(三)まで)、池田謙三、南謙介、近藤要三、中島貫の検察官に対する各供述調書

一、中島貫の検察官に対する供述調書写

一、大蔵事務官作成の近藤要三、渡辺一市に対する各質問てん末書

一、第一一回公判及び公判準備調書中証人武村富治夫の供述部分

一、第一二回公判調書中証人水谷英夫及び武村米蔵の各供述部分

一、第二四回公判調書中の武村米蔵の供述部分

一、武村米蔵の検察官に対する供述調書三通

一、大蔵事務官守山光平作成の昭和四三年一〇月一一日付報告書

一、豊島検事作成の「電話要旨」と題する書面

一、大蔵事務官佐川英雄作成の昭和四三年九月二五日付調査報告書

一、押収してある仕入帳一綴(昭和四三年押第四三三号の一)及び総勘定元帳二綴(同号の二の一、二)

(検察官、弁護人らの主張等について)

一、検察官は、被告会社は判示事業年度分の法人税の申告にあたり、たな卸資産を不当に低く評価して二、九三九万五、一五〇円の所得を秘匿した旨、即ち被告会社が昭和三六年六月奥小路工業株式会社から五、五六八万円で受注したフラットカットシャーラインについて、同機械は昭和三八年八月三一日約六割完成の段階で奥小路工業から契約を解除されて製造を中止していたが、同年一一月三〇日の決算時には他に転売されることが確実であつたから、その実際価額は、仕掛度合を考慮して、少なくとも奥小路工業に対する契約販売価額に一〇〇分の五五を乗じて算出した三、〇六二万四、〇〇〇円であるのに、これを一二二万八、八五〇円と不当に低く評価し、その差額二、九三九万五、一五〇円をたな卸資産に計上せず、同額の所得を秘匿したと主張するが、当裁判所は審理の結果、期末における本件機械の価額を検察官主張の三、〇六二万四、〇〇〇円とするのが適正で被告会社の行なつた一二二万八、八五〇円という評価は不当に低いものと認めるには未だ証明が充分でないと判断した。以下の理由を述べる。

有松忠義、奥小路文夫、小林勝(昭和四一年一一月一五日付)、武村米蔵(昭和四一年一一月二〇日付)の検察官に対する各供述調書、大蔵事務官作成の奥小路文夫に対する質問てん末書、第一一回公判及び公判準備調書中の証人武村富治夫、第一二回公判調書中の証人小林勝、第一九回公判調書中の証人城英雄の各供述部分、押収してある禀議書写一綴(昭和四三年押第四三三号三)、見積書写一綴(同号の四)、注文請書写一枚(同号の五)受注書写一枚(同号の六)、禀議書写一枚(同号の七)、解約書写一枚(同号の八)、元帳一綴(同号の一五)売原簿一綴(同号の一六)によれば、被告会社は、昭和三六年六月奥小路工業からフラットカットシャーライン(一〇個の単体機械から成る鉄板切断用機械)の製造据付を代金五、五六八万(当初五、六〇〇万円を後に一部解約)で受注し、完成した単体から順次奥小路工業の工場に納入していたが、納期が遅れ、経済環境が変つたことなどから、契約の約六割を完成していた昭和三八年八月三一日付で奥小路工業から契約を解除されたため、その後製造を中止し、同年一一月三〇日期末のたな卸評価にあたり、スクラップ並の価額である一二二万八、八五〇円と評価して公表帳簿に計上したことが認められ、また前掲の有松忠義の検察官調書、証人武村富治夫の証言及び押収してある安宅産業株式会社のファイル一冊(昭和四三年押第四三三号の一二)によれば、昭和三九年一月二八日本件機械の大半が被告会社から安宅産業に、東都製鋼株式会社工場への据付費用を含め四、六〇六万円で売却されたことが認められる。

ところで弁護人は、本件機械は特別注文によつて製造したもので、容易に他に転売できる性質のものではなく、実察には後に東都製鋼向けに転売できたものの、昭和三八年一一月三〇日の決算時においては、転売の見込は全くなく、経済的にスクラップ同然であつたから、被告会社の行なつた一二二万八、八五〇円という評価こそ適正な期末価額である旨主張するところ、前掲の有松忠義ならびに奥小路文夫の検察官調書、証人武村富治夫、証人小林勝、証人城英雄の各証言及び第一九回公判調書中の証人奥小路文夫ならびに広田駿一、第二四回公判調書中の武村米蔵の各供述部分、押収してある依頼書写一綴(昭和四三年押第四三三号の一一)、ファイル一冊(同号の一二)、買約帳写一綴(同号の一三)、売約帳写一綴(同号の一四)によれば、本件機械は奥小路工業から特に注文を受けて製造した大型機械であり、これを設置するには関連設備も含め多額の資金を要するものであるから、製造会社等がこれを設置するにあたつては機械の性能、既設ないしは将来設置予定の関連機械との調和、製品の販路、経済界の動向等を慎重に検討し、高度の政策的配慮を必要とするものであり、一般汎用の小型機械のように受注先から解約されたからといつて容易に他に転売し得るものではなく、しかも本件機械は完成された単体から順次奥小路工業の工場に納入されていたが、納入先の環境ならびに保管が充分でなく、機械に錆がでたりして相当の補修を要するばかりでなく、受注後二年半近い年月を経て型式もやや古くなり、未使用品とはいえ中古品ともいうべき状態になつており、具体的な転売見込があれば格別、そうでなければ仕損品ないしはスクラップに準じて評価するものもあながち不当とはいえないものであつたこと、そして、奥小路工事としてもその間の事情は充分承知していたので、昭和三八年八月三一日被告会社に対し正式に契約解除の意思表示はしたものの、被告会社が容易にこれに応ずるはずはないので、支払済の前渡金二、〇〇〇万円を円満早期に回収するため、同年一〇月一日ごろ被告会社には内密に安宅産業に本件機械の転売のあつ旋方を依頼したところ、その話はその後間もなく安宅産業から、当時たまたま同種機械の導入計画をもつていた東都製鋼に持ち込まれ、両社の間で交渉が進められた。当初は奥小路工業が売主となることで話は進められたが、後に被告会社が奥小路工業の契約解除を受け入れ、被告会社から安宅産業に譲渡することになつたことが認められる。そこで問題は被告会社がいつ本件機械について具体的な転売見込を持つに至つたかということになるのであるが、前掲奥小路文夫の検察官調書には、一〇月一日付書類(前掲依頼書)で奥小路工業から安宅産業に転売依頼をした時点では東都製鋼が買受けることは確定的であつた旨の供述記載があるが、前掲安宅産業のファイル中「奥小路工業保有新設レベラーの件」と題する書面(付箋〈6〉)によれば、一〇月一四日日の時点で東都製鋼は取引先に対する政治的配慮から本件機械の買付を考慮している段階であり、同ファイル中「支岐部長12・17・63」と題するメモ(付箋〈7〉)によれば、安宅産業では一二月一七日の段階でもなお東都製鋼が買受けるかどうかは確定的でないとの感触を得ていることが認められることに照らし、右奥小路文夫の供述は、とうてい信用できず、右のメモの記載によれば、被告会社に対する大よその支払条件、被告会社から奥小路工業への前渡金の返済方法等を示して東都製鋼の意向打診が行なわれていることから見て、遅くとも一二月一七日の時点では、確定的なものではないにしても被告会社と安宅産業との間に東都製鋼向けの転売交渉が進められていたものとうかがわれ、また前掲の証人城英雄の証言及び安宅産業のファイル中「東都製鋼/関西鉄工の件」と題する書面(付箋〈2〉)によれば、一二月二六日には被告会社から安宅産業に対し、東都製鋼向け転売を前提に、被告会社も加わつて安宅産業、東都製鋼との間で細部について交渉打合せが行なわれていることが認められ、このことからすれば、これより相当以前から東都製鋼向け転売の話が具体化し、充分転売を見込み得る状態になつていたものと確認することができるが、本件の全証拠によつてもこれ以前の段階において、特に一一月三一日の決算時までに、被告会社が具体的で確実な転売見込みを持ち得たと認めるに足る証拠はない。加えて有松忠義の前掲検察官調書によれば、現に東都製鋼向けに売れた残りは、昭和四一年一二月一〇日になつてやつと屯当り一〇万円というスクラップ値で売却されていることが認められ、このことも義酌して考えれば、昭和三八年一一月三〇日の決算時において、被告会社がした一二二万八、八五〇円という評価がはたして当時における本件機械の適正な評価額といえるかどうかには、いささか疑問があるにしても、これが不当に低い金額であり、検察官主張の価額が適正な実際価額であると認めることはできないものといわざるを得ない。

二、弁護人は、判示認定の架空仕入れのうち二三八万一、九〇四円は、日本電鋼株式会社名で末富基雄から実際にギヤ地(歯車)を仕入れたもので、架空に仕入れを計上したものではないと主張するので、この点について検討する。

第一二回公判調書中証人水谷英夫、第二四回公判調書中武村米蔵の各供述部分及び証人小林勝の当公判廷(第六〇回公判)における供述中には、弁護人の右主張に添う供述ないし供述記載があり、右武村米蔵、小林勝の供述によれば、本件当時日本電鋼こと末富基雄とは何度もギヤ地の取引があり、本件が問題になつている分については材質が悪く四十数枚もの不良品があつてそれが現在でも残つているということであるのに、第二三回公判調書中の証人有松忠義の供述部分によれば、本件の前後を通じ一〇年以上も被告会社に勤務して設計課長、製造課長、設計部次長を歴任し、ギヤ地の入荷先については特別関心があるわけではないが、職務上その材質については充分関心をもつていた同人が、ギヤ地は、不良品が出た時のために入荷先毎に分けて保管されていたというのに、日本電鋼ないしは末富基雄なる名前を全く知らず、また被告会社が製品に使用するギヤ地は全て必要に応じて注文製造させるもので、適宣ブローカーから買入れるようなことは考えられないこと、大蔵事務官佐川英雄作成の調査報告書及び豊島検事作成の「電話要旨」と題する書面によれば、日本電鋼株式会社なるものは登記もない架空のものであるばかりでなく、被告会社の仕入帳(昭和四三年押第四三三号の一)に記載されている日本電鋼の住所、電話番号は、日本電鋼ないしは末富基雄とは全く関係がないことが認められ、 また第二四回公判調書中の武村米蔵供述部分、 同人の検察官に対する昭和四一年一一月一一日付供述調書によれば、当時被告会社の代表者であつた同人自身、時期や金額ははつきりしないものの、当時一回は日本電鋼からの架空仕入れを計上したことを認めており、少なくとも捜査段階においては、公判で主張するようなギヤ地の実仕入れを全く主張しておらず、第二四回公判調書中の同人の供述部分及び大蔵事務官守山光平作成の昭和四三年一〇月一一日付報告書によれば、本件仕入代金として被告会社から日本電鋼宛に振出された手形は結局武村米蔵個人の架空名義口座に振込まれていることが認められ、これらの事実を総合すれば、検察官主張の日本電鋼分二三八万一、九〇四円も架空仕入れを計上したものと認めるに充分であり、前記水谷英夫、武村米蔵、小林勝の各供述はたやすく信用できない。

三、弁護人は、日本電鋼分以外の架空仕入については、屯当り一、〇〇〇円ないし二、〇〇〇円合計一七八万九五一三円の協力手数料が支払われているので、その分は課税標準所得の計算上損金に計上されるべきである旨主張するので、この点について判断する。

武村米蔵(昭和四一年一一月二〇日付)、南謙介、近藤要三、中島貫の検察官に対する各供述調書によれば、被告会社は日本電鋼分を除く判示架空仕入れを計上するにあたり、くろがね剪断、大洋物産、高森産業などの取引先から架空の納品書、請求書の発行を受け、これに対する謝礼として弁護人主張のような手数料を支払つていたことがうかがわれるが、このような支出は、いわば脱税協力金とでもいうべきものであつて、被告会社の事業の遂行上「通常かつ必要な経費(収益を得るために必要な支出)」とはとうていいえないので、所得の計算上損金に算入し得べきものではないので、弁護人の右主張は採用できない。

四、脱税額の計算について

被告会社作成の法人税申告書の別表一には、一部誤記誤計算があるので、これを修正すると、被告会社の申告法人税額は別紙計算書甲欄記載のとおり五、五一〇万円四、九三〇円である。これに対し、申告所得額に判示秘匿所得額を加えて算出される法人税額は別紙計算書乙欄のとおり七、〇六〇万四、一四〇円である。従つて被告会社の逋脱税額はその差額一、五四九万九、二一〇円となる。

(法令の適用)

被告会社の判示所為は、昭和四〇年法律第三四号による改正前の法人税法第五一条第一項、第四八条第一項、第二項に該当するので、所定の罰金額の範囲内で被告会社を罰金三五〇万円に処し、訴訟費用中証人島谷弘、同有松忠義に支給した分は、刑事訴訟法第一八一条第一項本文によりこれを被告会社に負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 浅野芳朗 裁判官 西田元彦 裁判官山崎恒は、職務代行のため出張中につき署名押印できない。裁判長裁判官 浅野芳朗)

計算書

〈省略〉

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